2018年04月09日

『Fender Japan』シリアルナンバーの一覧と製造工場

シリアルナンバー


Fender Japanのシリアルのまとめはネットにあふれてますが、製造工場も含めまとまっているところが少なかったのと昔より検索ヒット数が減った気がしたので自分用資料としてまとめます。

良かったらご活用下さい。

第一期 Fender Japan

1982〜1984年:JV + 数字5ケタ
1983〜1985年:SQ + 数字5ケタ
1984〜1987年:E + 数字6ケタ


↑ここまでフジゲン工場製造

↓ここから・フジゲン・寺田・東海・ダイナ

1985〜1986年:A or B ore C + 数字6ケタ
1986〜1987年:F + 数字6ケタ
1987〜1988年:G + 数字6ケタ
1988〜1989年:H + 数字6ケタ
1989〜1990年:I or J + 数字6ケタ
1990〜1991年:K + 数字6ケタ
1991〜1992年:L + 数字6ケタ
1992〜1993年:M + 数字6ケタ
1993〜1994年:N or O or P or Q+ 数字6ケタ
1994〜1995年:S or T+ 数字6ケタ
1995〜1996年:U + 数字6ケタ
1996〜1997年:V + 数字6ケタ


工場は表記の「MADE IN JAPAN」で見ます。

フジゲン:ゴシック体デカール風
fujigen.png
ダイナ楽器:ゴシック体スタンプ風
Tokai.png
寺田楽器:ゴシック体(小文字)
Terada.png
東海楽器:筆記体
Daina.png

第二期 Fender Japan

全てダイナ楽器製造。
ダイナに木工設備が作られるまで「Craft in Japan」

(1995〜1996年:N + 数字5ケタ)
1997〜1998年:A + 数字6ケタ
1997〜2000年:O0 + 数字5ケタ
1999〜2002年:P0 + 数字5ケタ
2002〜2004年:Q0 + 数字5ケタ
2004〜2006年:R0 + 数字5ケタ
2006〜2008年:S0 + 数字5ケタ
2007〜2008年:T0 + 数字5ケタ



ここから「Made In Japan」表記


2007〜2010年:T0 + 数字5ケタ
2010〜2012年:U0 + 数字5ケタ
2012〜2015年:JD12 + 数字5ケタ



こちらの「Made In Japan」は頭文字のみ大文字。
シリアルの下に記載されています。

posted by mugeek at 16:38 | Comment(0) | Fender Japan | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月04日

Fender Japanの歴史-1997年〜2015年(第二期)-

Fender Japanブランド誕生


ブランド誕生と銘打っておりますが、1997年までのFender Japanはフジケン経営のフェンダー・ジャパン株式会社でした。1997年からはフェンダー・ジャパン株式会社は消失しておりますので、完全なブランド名となりました。

さて実際どのような経緯かと言うと、フェンダー・ジャパン株式会社がなくなりフジゲンが商標も含め米フェンダーに返却しておりますので日本国内でロゴが使用できません。
フェンダー・ジャパン株式会社の筆頭株主であった神田商会は、その後も運営しようと画策し米フェンダーからライセンスをレンタルすることでブランドとしての「Fender Japan」を運営開始しました。

その頃からフジゲンは、今でこそ当たり前の販売方法になってしまいましたが、いわゆる中抜きの直営に移行したため神田商会からの仕事はありません。
おそらくですがバブル崩壊後、フェンダー・ジャパン株式会社を売却したフジゲンは利益を得る為に直営にしたのではなかろうかと思います。

そこで1997年以前のFender Japanと違い神田商会は東海楽器や寺田楽器に木工の依頼をし、自社工場のダイナ工場で組み立てるという手法に切り替えました。

その為この頃からシリアルは「Crafted in Japan」という文字に切り替わりました。
噂では2000年台以降に中国で木工処理したものをダイナ楽器で組み立てた説もありますが、真偽のほどが定かではありません。
製造販売の表記として部品がどこのものであれ、最終製造が組立てであった以上ダイナは「Crafted in Japan」って記載せざるを得ないですからね。

元々ダイナ楽器には木工を処理する設備がなかったのですが、2007年に設備投資をしたため自社工場内でオールインワンの製造が可能になりました。
そのためまた2007年からは「MADE IN JAPAN」の刻印の入ったシリアルが流通するようになりました。
木工発注の注残分もあったためかこの時期の2007〜2008年のシリアルには「Crafted in Japan」と「MADE IN JAPAN」が混在してるレアな時期になります。

そんな流れで大きな変化もなく順風満帆に神田商会はFender Japanブランドを運営しておりました。

しかしながら米フェンダーは元々山野楽器を代理店として日本国内に輸出を行っておりましたが、2015年3月を持って代理店契約を打ち切り。
米フェンダーは日本法人のフェンダーミュージック株式会社を立ち上げます。
当然、日本国内への生産販売を自社運営に切り替えた米フェンダーは神田商会へのライセンスレンタルの契約も打ち切ります。

ここがレンタル運営のつらいところで貸さないって言われたらもう営業出来ない。

とは言え綺麗な離婚と想像出来ます。

ジャパン・エクスクルーシブ・シリーズ


結局のところブランド名は変わりましたが、製造ラインは変わらずダイナ楽器です。

ダイナ楽器は神田商会のグループ企業ではありますが独立した法人でもありますので、ダイナ楽器からしたら発注先が変わった程度の話ですね。
買収を経て親会社が変わるなんてのはビジネスにおいてよくある話です。

むしろ長年続いたFender Japanは以前も言いましたがFenderの冠を借りた別企業でした。
コピー品を許された日本製のFender系ギターがFender Japanブランドだったわけですが、2015年にしてようやく日本製のフェンダーというものが生まれたのです。
(1984〜1987年のフジゲン製のFender USAも正しく日本製のフェンダーでしたが)

いうなればユーザーからすればちゃんとFenderのギターを買える選択肢が増えたと言っていいでしょう。

さてそんなフェンダーミュージック株式会社
米フェンダーの子会社ではありますが、そんな人が運営をしているかというと
取締役 Edward Cole
取締役 James Bronen
取締役 Mark David Van Vleet

です。

誰やねんと思うと思いますが。

まず下の二人
James Bronen:米フェンダーの最高財務責任者
Mark David Van Vleet:欧フェンダー責任者

です。

マークさんは山野楽器と合同会社だった株式会社フェンダープロモーションジャパンという販促・営業を日本で担当していた会社の代表取締役です。

さて「Edward Cole」という方。
前職はラルフローレンジャパンの社長をやっておりました。
ブランド品の売り方を熟知した人間を投入したようです。

この方、札幌の日本語学校にも2年間通っていた為日本語は堪能です。

このブログでは珍しく未来に期待できる内容になっております。
日本法人を立ち上げたフェンダーはどのように展開していくのか。

ちなみに1年目はあまり目立ったことも起きず、楽器店との摩擦もあったりで幅広い運営はされませんでした。
今後柔軟になっていくと予想されますが果たしてどうなっていくのか?

この新しいシリーズの現物を実は僕個人も手に入れてなくてですね、今現在特に気になっているのがパーツの仕様などがインチ対応になっているかどうかですね。

今度サポート等に伺ってみようと思います。
分かり次第改めて追記します。
posted by mugeek at 17:00 | Comment(0) | Fender Japan | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月30日

Fender Japanの歴史-1982年〜1997年(第一期)-

Fender Japanの誕生の経緯


当ブログにおいて散々ジャパンビンテージについて記載してきましたが
それと密接に関係のある「Fender Japan」
残念ながらフェンジャパで親しまれたこのブランドは2015年4月をもって幕を落としました。

前回のブログで東海楽器がFenderに訴訟を起こされ営業停止になった話などを書きましたが
日本はコピー品を作って販売していたため本家の逆鱗に触れておりました。

しかしコピー品の完全な駆逐は出来なかった米Fenderは日本国内の楽器製造の話を日本へ持ち込むことにしました。

と、公式には言われておりますが、もちろんコピー品をなくすという目的もありながらも元々米フェンダーは安価なモデルを流通させる為の工場を探しておりました。いわゆる当時のスクワイアなどがそれに当たります。

ですので一度中国に話を持ち込んでるのです。
今でこそ中国の品質も世界的に優秀になってきてますが、当時はまだ品質的に及第点を超えることにならず、改めて日本に話が持ち込まれた形です。

当時の人件費を見ると日本委託で安価に生産できる時代だったためですね。

Fender Japanの誕生は1982年ですが遡ること1980年
フジゲンは「スーパーリアル・シリーズ」という本家を完璧と言っていいくらいに真似たシリーズを作り始めます。スーパーコピーみたいな話ですが、そういう時代だったのです。
※余談ですがフジゲンは1981年にNCルーター(木材加工機)を導入します。つまるところ1980年まで機械化せず、さらに同年スーパーリアル・シリーズ。もうお分かりですね?

翌1981年、神田商会が米FenderからついにFender Japan構想の打診を受けます。

当時Grecoブランドを委託していたフジゲンへ神田商会は話を持ち込みます。
ここでフジゲンは「スーパーリアル・シリーズを頑張りたい」という意向の元、一度は話を断るのですが神田商会の説得の上で承諾します。
※断られたあとご近所さんのマツモク工業へ次は話をもってく予定だったみたいです。

さて神田商会とフジゲンのタッグはその時点でGrecoブランドを作っていたわけで、先述のスーパーリアル・シリーズもGrecoの物でした。
そんな中Fender Japanへと移行することとなった経緯も相まって、NAMMショウにてGrecoのロゴを剥がしFederのロゴに張り替えて出展するということになります。

コピー品が本物のロゴを張られる時がここで誕生しました。
ちなみに大絶賛だったそうです。

Fender Japan誕生


そんな歴史的背景の元
・フジゲンとフェンダーの共同子会社
・出資は山野楽器と神田商会
という形で1982年、日本法人のフェンダー・ジャパンが設立されました。

設立後、安価なモデルをスクワイア、ランク上の物をFender Japanとしフジゲンが製造することとなります。
一番ジャパンビンテージとして価値の高いころですね。

結構勘違いされておりますが、Fender USAとFender Japanは全くもって別会社です。
日本製のFenderと言えば聞こえはいいですが、その認識も間違っています。

公式にコピー品を許された日本製のストラトキャスターやテレキャスター。
その認識が正しいところだと思います。

一応Fenderらしくないギターは作れないなどの制限は、子会社ですのでありますが
完全に独立した一法人としてFender Japan社はありました。
扱いとしては当時フジゲンの子会社でもありますね。

同年1982年、フジゲンは世界ギター生産量1位にまで上り詰めます。

ちなみに本家Fenderが工場を失ったときフジゲンは1984〜1987年のFender USAも作るようになります。
その間、自社工場のないFenderはコロナ工場を作るわけですが、その際の技術協力はフジゲン。
当時フジゲン在籍、現Sugi Guitarで知られる杉本さんも技術指導を行いました。
さらにその杉本さんの技術指導の結果、1987年のカスタムショップ設立に繋がります。
そして同年1987年Fender MEXICOをフジゲンとフェンダーで設立します。

さて順風満帆のように見えたFender Japan並びにフジゲンですが、1997年のバブル崩壊後「Fender Japan」「Fender MEXICO」両方の株を米Fenderに売却。

その為Fenderにとってはフジゲンとの共同会社だったフェンジャパもメキシコも、完全なフェンダーの独占子会社化されます。

米Fenderはメキシコのみを残し、フェンダージャパンをスクワイアと統合した結果
「Fender Japan」の15年の歴史に1997年幕を下ろします。

というよりも「フェンダー・ジャパン株式会社」が消滅しました。

同年「Fender Japan」ブランドの第二期が発足されるのですが、それはまた次回の記事にて。
posted by mugeek at 15:00 | Comment(0) | Fender Japan | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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