2018年02月09日

マツモク工業/松本木工

ジャパンビンテージ影の立役者


前回、フジゲンがジャパンビンテージを生んだという話をしましたが
フジゲンとともに当時のギター製造を盛り上げた工場に、マツモク工業という工場がありました。

「ありました」ということからわかるように、今はありません。

そんな日本のギター製造の歴史において重要にも関わらず
現代ではほとんど知られていないマツモク工業をご紹介。

マツモク工業

マツモク工業は長野県松本市の工場で、フジゲンとご近所さんでした。
元々はミシンを作る工場で、今ではあまり見かけないですが当時は木製だったミシンのキャビネットを作る工場でした。まだ1960年代初期の頃。

当時は今のように情報なんて簡単に手に入る時代ではなく見様見真似でやっていた時代です。
フジゲンですら最初の電気エンジニアは、牛小屋の蛍光灯を変えにきた街の電気屋さんを抜擢したように、ミシン工場がギター工場になるのには大きな理由はいりませんでした。

その頃からフジゲンとマツモクはご近所だったため付き合いがありました。
フジゲンがまだギター作りのノウハウもなく、ある日乾燥設備の不十分さで2,000本ダメにしました。
先日書いた「シーズニング」の重要さも知らなかった頃ですね。

そこでフジゲン、ご近所さんのマツモク工業に白羽の矢を立てました。

「あそこなら木材の乾燥技術を持っている・・」

そうこうしてフジゲンさんはマツモクさんに木材の乾燥を依頼します。

ギターとしての体裁すら作れなかったフジゲンは、ここでようやく楽器としてのギターを生むことが出来るようになりました。
つまりジャパニーズギターの創世記はこの2社が一蓮托生となり誕生したのです。
ちなみに当時のマツモク工業はまだ「松本木工」という会社でした。

この松本木工はフジゲンから乾燥を引き受けたわけですが、結果として松本木工は加工技術も優れていたため木材に関する全ての部分を請け負う形となりました。

現在のフジゲンの木工技術の基礎はマツモクにあったわけですね。

この2社は仲良しだったのもあって、海外からギターの技師を招いた際に2社ともレクチャーを受けることになったため2社一緒になって技術の工場を育んでいきました。

そしてマツモクの木工技術もまたフジゲンにレクチャーされていき、どんどん技術の発達をしたわけです。

1960年台の中盤についに神田商会とフジゲンにより「GRECO」ブランドが発足します。
初期のGRECOは話の流れからわかるとおり、マツモクの木材を使ってフジゲンが組立て電気回路をのせたものですね。

1966年にもなると、マツモクはフジゲン以外からも注文が殺到し徐々にフジゲンへの納品数を減らさざるを得ない状況になっていきました。
木工工程をマツモクに依存していたフジゲンは納品出来ない事態となったため、
1967年にフジゲンは自社工場を新たに建設し、そこで乾燥や木工も出来るようになったのである。

とはいえご近所さんですので、完全に取引がなくなることはなくてそれ以降も細々と取引が続いていました。

フジゲンはGRECOブランドを作り続けましたが、同様にマツモクも2次下請けとしてGRECOのギターを作っておりました。
ネックプレートに「MATSUMOKU」と書かれたジャパンビンテージは珍しくないでしょう。

さてこれまた先日申し上げましたが、当時のギター販売会社の3強である
星野楽器、神田商会、荒井貿易の3社のうちの一つが神田商会ですね。
星野楽器はアイバニーズを軸として海外に目を向けた戦略だったため、国内2強は神田と荒井です。

神田商会には「GRECO」があり、のちにFender代理店と手を組みさらに「Fender Japan」まで発足します。

そこで荒井貿易も新しいブランドを立ち上げました。
それが有名な「Aria ProU」です。

現在ではあまり褒められた品質でないものも正直ありますが、
発足した1970年台後半、その製造を請け負ったのがマツモク工業です。

Aria ProU


ブランド誕生は1975年。

当時のカタログを見ると、GRECOのカタログに似ておりコピーモデルばかりが掲載しています。
このコピーはマツモクにとっては既にお手の物の状況でした。

素晴らしい品質のエレキギターが沢山生まれました。

ただやはりコピーモデルですのでFender社、Gibson社の圧力はすさまじく
結果としてコピーモデルの勝者は神田楽器の「Fender Japan」となるわけですが
その為、国内でのコピーモデルを作れなくなってしましました。

1980年台にさしかかるとオリジナルシェイプの開発にAria ProUも画策するようになります。

ですのでAria ProUのコピーモデルは非常に短命でしたが、その間マツモクによって製造されたコピーモデルも言わずもがなジャパンビンテージとして優秀な一品と言えます。

カタログにより1983年まではマツモクの名前が確認できます。

マツモクはフジゲンの木工技術の生みの親。
そしてフジゲンとともに海外から技術を学んだ間柄。

十分な品質を持っていることがお分かり頂けただろうか。

そんなマツモク工業ですが残念なことにシンガー日鋼という会社の子会社であり、親会社の以降で工場を閉鎖せざるを得なくなってしまい、歴史に幕を閉じたのです。

posted by mugeek at 18:38 | Comment(1) | ジャパンビンテージ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
はじめまして。
記事拝見させていただきました。

私は日本大学芸術学部2年の水原誠と申します。今夏、「信州とギター」というタイトルでドキュメンタリー作品の制作を計画しており、そこにマツモクの情報を入れたいと考えております。マツモクを入れないで何が「信州とギター」だと思うのです。
そこで、どうか情報を提供して頂けないでしょうか?
メールアドレスを記入して置きますので、どうかよろしくお願いします。

jazzy.karuizawa@gmail.con
Posted by 水原誠 at 2018年05月09日 13:48
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